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去る11月4日の日曜日、岩手県陸前高田市での「陸前高田市産業まつり」に、私の水墨画の師匠、土屋秋恆先生と兄弟弟子の皆と一緒にボランティアのライブドローイングを行ってきました。
前日の3日に陸前高田市の被災地を訪問し、未だ残るたくさんの傷跡をみてきました。
毎年行われていた「陸前高田市産業まつり」も昨年は震災の影響で開催されることはなく、今年は二年ぶりの開催ということでした。
色んな想いと願いと希望が詰まった「陸前高田市産業まつり」
どれだけの人が集まるのだろう。どんな場所なのだろう。
僕らの絵で一体何ができるのだろう...
前日、僕には言葉にできない緊張と不安がありました。
師匠と弟子一同、今回はいつものライブパフォーマンスとは
違う想いを抱いて当日に挑んだように思います。
11月4日「陸前高田市産業まつり」当日は前日の曇天も消え、陽の光が肌に刺さるような快晴でした。それでも東北岩手、そのすでに冷たい冬の風に心身ともに引き締められつつ、会場入りしました。会場はあの日の津波ですべてが流された場所にありました。
会場には40を超える事業所が参加していたそうで、予想を遥かに超える多くの方たちが集まってきました。開会式では二年ぶりの開催の祝辞があり、テープカットや餅まきが賑やかに行われ幕が開きました。
我々の水墨画ライブドローイングはステージ脇の特設パネルで行いました。
初めに同門の三名が登場。河合愼平君が「薔薇」野口誠二さんが「一本松」東良太君が「牡丹」を描き、観客から多くの拍手と賞賛の声を頂きました。
お年寄りからお子さんまで、初めて見る水墨画の実演にみなさん驚いていました。自分たちの絵を見て感動してもらえることが、なんとも有難いことだと思いました。
僕も前日までの緊張と不安は消え、今日与えられたこの機会を心から楽しもうと、ただそれだけを考えていました。
次に僕と東君、河合君の三名で大きめの絵を描きました。
東君の「月夜の竹」はとても幻想的で美しく、河合君の「紅葉と滝」は会場に向かう車中から見た景色のようで、滝の音が聞こえるようでした。
僕は「秋の花々」を描きました。菊、桔梗、秋桜、薔薇、それらが花火のように勢いよく打ち上がった様を描きたいと思いました。水墨画は墨と水の世界ですが、このように顔彩をつかった華やかな表現もあります。
次は我らが師匠、土屋秋恆先生が全紙を二枚繫いだ横長の世界に色鮮やかな「紅葉」を描かれました。構図、色ともに美しく、まさに今の紅葉満開の岩手の景色そのものでした。
後ろで見ていた親子、お年寄りも皆が絵描きの筆から広がる世界に引き込まれ真剣に見ていました。我が師匠、流石の腕前です。
最後に師匠と弟子(僕)の初共演となりました。水墨画道7年目にして、師匠とのライブドローイングです。実現する場所がまさかこんな大切で大事な場所になるとは夢にも思いませんでしたが、とにかく与えられたこの機会を楽しんで挑もうと思いました。テーマは「枝垂八重桜」全紙4枚を横に並べた大画面でした。 僕は左利きなので左から、先生は右から描き進めました。
描き始めてすぐに頭は真っ白の無我夢中、あまり記憶もない感じでただひたすらに八重桜を描き続けました。ただ、自分に出来ることは絵を描くこと以上になにもない、その想いだけがずっと浮かんでいました。
先生のフォローのおかげでみるみると素晴らしい満開の枝垂八重桜が描き上がっていきました。
いよいよ完成、先ずは先生が落款をし、続いて私も落款しました。
念願の師匠との初共演に感無量でした。
満開の枝垂八重桜が描き上がったあと、多くの人が絵を見に近づいてこられました。枝垂桜を背景に子供と写真を撮るお母さん、興味津々に筆や硯を覗き込む男の子、絵を見て何か話をしている方々…
袖で後片付けをしながら、やって良かったなぁとしみじみ感じていたとき、地元の方と話されている師匠に呼ばれ、僕もその方々の所にいきました。
そこにはニコニコとした60近い男性と70は過ぎていると思われるおじいさんがいらっしゃいました。
そして先生が、「浦さん、この方々が、我々が描いた枝垂れ桜の下に復興した陸前高田の街が見えるようだとおっしゃってくれたんです…」と話してくれました。
僕は先生の言葉が終わるより早く、大量の涙が溢れ出しどうにも止まらなくなってしまいました。
この陸前高田で、おじいさんは奥さんを亡くされ、もう一人の方は母と娘と多くの従業員を亡くされたとのことでした。
それでも前向きに生きていこうとされている様子が、その言葉とその声からよくわかりました。かつてこの場所にはこの絵のような桜がたくさんあったんだよと話してくれたご夫人もいました。
僕はあの震災直後、強烈な人の苦しみや悲しみに対して、絵を描くことでいったい何が出来るのか、誰のためになるのかという無力感にしばらく襲われました。自分が人生を掛けてやってきた絵描きというものが、なんとも弱く頼りないものに感じてしまったからです。しかし、この方々の言葉のおかげで、僕の心の奥に氷らせてしまっていた絵描きとしての大事な何かが溶けたような気がします。
自分に出来ることは絵を描くこと、それを今回、陸前高田の皆さんに改めて教えて頂きました。絵を見て下さった陸前高田のみなさん、本当にありがとうございました。そして多くの実行委員の皆さまと、この機会を下さった我が師匠に心から感謝しています。
岩手の美しい紅葉のもと、一生忘れない経験をさせて頂きました。合掌。
左から東良太、浦正、土屋秋恆先生、河合愼平、野口誠二
「秋花火図」
前日の3日に陸前高田市の被災地を訪問し、未だ残るたくさんの傷跡をみてきました。
毎年行われていた「陸前高田市産業まつり」も昨年は震災の影響で開催されることはなく、今年は二年ぶりの開催ということでした。
色んな想いと願いと希望が詰まった「陸前高田市産業まつり」
どれだけの人が集まるのだろう。どんな場所なのだろう。
僕らの絵で一体何ができるのだろう...
前日、僕には言葉にできない緊張と不安がありました。
師匠と弟子一同、今回はいつものライブパフォーマンスとは
違う想いを抱いて当日に挑んだように思います。
11月4日「陸前高田市産業まつり」当日は前日の曇天も消え、陽の光が肌に刺さるような快晴でした。それでも東北岩手、そのすでに冷たい冬の風に心身ともに引き締められつつ、会場入りしました。会場はあの日の津波ですべてが流された場所にありました。
会場には40を超える事業所が参加していたそうで、予想を遥かに超える多くの方たちが集まってきました。開会式では二年ぶりの開催の祝辞があり、テープカットや餅まきが賑やかに行われ幕が開きました。
我々の水墨画ライブドローイングはステージ脇の特設パネルで行いました。
初めに同門の三名が登場。河合愼平君が「薔薇」野口誠二さんが「一本松」東良太君が「牡丹」を描き、観客から多くの拍手と賞賛の声を頂きました。
お年寄りからお子さんまで、初めて見る水墨画の実演にみなさん驚いていました。自分たちの絵を見て感動してもらえることが、なんとも有難いことだと思いました。
僕も前日までの緊張と不安は消え、今日与えられたこの機会を心から楽しもうと、ただそれだけを考えていました。
次に僕と東君、河合君の三名で大きめの絵を描きました。
東君の「月夜の竹」はとても幻想的で美しく、河合君の「紅葉と滝」は会場に向かう車中から見た景色のようで、滝の音が聞こえるようでした。
僕は「秋の花々」を描きました。菊、桔梗、秋桜、薔薇、それらが花火のように勢いよく打ち上がった様を描きたいと思いました。水墨画は墨と水の世界ですが、このように顔彩をつかった華やかな表現もあります。
次は我らが師匠、土屋秋恆先生が全紙を二枚繫いだ横長の世界に色鮮やかな「紅葉」を描かれました。構図、色ともに美しく、まさに今の紅葉満開の岩手の景色そのものでした。
後ろで見ていた親子、お年寄りも皆が絵描きの筆から広がる世界に引き込まれ真剣に見ていました。我が師匠、流石の腕前です。
最後に師匠と弟子(僕)の初共演となりました。水墨画道7年目にして、師匠とのライブドローイングです。実現する場所がまさかこんな大切で大事な場所になるとは夢にも思いませんでしたが、とにかく与えられたこの機会を楽しんで挑もうと思いました。テーマは「枝垂八重桜」全紙4枚を横に並べた大画面でした。 僕は左利きなので左から、先生は右から描き進めました。
描き始めてすぐに頭は真っ白の無我夢中、あまり記憶もない感じでただひたすらに八重桜を描き続けました。ただ、自分に出来ることは絵を描くこと以上になにもない、その想いだけがずっと浮かんでいました。
先生のフォローのおかげでみるみると素晴らしい満開の枝垂八重桜が描き上がっていきました。
いよいよ完成、先ずは先生が落款をし、続いて私も落款しました。
念願の師匠との初共演に感無量でした。
満開の枝垂八重桜が描き上がったあと、多くの人が絵を見に近づいてこられました。枝垂桜を背景に子供と写真を撮るお母さん、興味津々に筆や硯を覗き込む男の子、絵を見て何か話をしている方々…
袖で後片付けをしながら、やって良かったなぁとしみじみ感じていたとき、地元の方と話されている師匠に呼ばれ、僕もその方々の所にいきました。
そこにはニコニコとした60近い男性と70は過ぎていると思われるおじいさんがいらっしゃいました。
そして先生が、「浦さん、この方々が、我々が描いた枝垂れ桜の下に復興した陸前高田の街が見えるようだとおっしゃってくれたんです…」と話してくれました。
僕は先生の言葉が終わるより早く、大量の涙が溢れ出しどうにも止まらなくなってしまいました。
この陸前高田で、おじいさんは奥さんを亡くされ、もう一人の方は母と娘と多くの従業員を亡くされたとのことでした。
それでも前向きに生きていこうとされている様子が、その言葉とその声からよくわかりました。かつてこの場所にはこの絵のような桜がたくさんあったんだよと話してくれたご夫人もいました。
僕はあの震災直後、強烈な人の苦しみや悲しみに対して、絵を描くことでいったい何が出来るのか、誰のためになるのかという無力感にしばらく襲われました。自分が人生を掛けてやってきた絵描きというものが、なんとも弱く頼りないものに感じてしまったからです。しかし、この方々の言葉のおかげで、僕の心の奥に氷らせてしまっていた絵描きとしての大事な何かが溶けたような気がします。
自分に出来ることは絵を描くこと、それを今回、陸前高田の皆さんに改めて教えて頂きました。絵を見て下さった陸前高田のみなさん、本当にありがとうございました。そして多くの実行委員の皆さまと、この機会を下さった我が師匠に心から感謝しています。
岩手の美しい紅葉のもと、一生忘れない経験をさせて頂きました。合掌。
左から東良太、浦正、土屋秋恆先生、河合愼平、野口誠二
「秋花火図」
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